無心となって生きていく

田村季山


禅宗では「ただ無心となって座禅することに集中しなさい。」と教えます。
「座禅をすることは悟りを得る上でどういう意味があるのか、何のために座禅するのかなどと考えてはいけない。意味や目的を考えることは雑念となってかえって悟りを妨げるからだ。」といいます。
この考え方は生きるということ全てに共通するのではないでしょうか。


「なぜ生きるのか?何のために生きるのか?」と考えることは、雑念となって幸福感や充実感を見失う原因になるかもしれません。
ただ、毎日やるべきことを淡々と無心となってやって生きていく方が幸福感を得られるでしょう。
ところで、欲を満たして幸福感を味わう方法と、欲をなくして幸福感を得る二つの方法がありますが、後者の方が誰にでもできる方法です。
欲を満たして幸福感を得る方法はお金も掛かって苦悩も生みます。

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