物事の本質を見抜く


物事の本質を見抜くこと。
そこだけを見つめ、あとのことは気にすることはありません。
ところが、世の人はおおかた物事の本質より、そこから派生した瑣末な小さなことに拘り、しまいにはそれに囚われ過ぎて振り回され、本来の大事なことが見えなくなってしまいます。


人の世のもろもろのくだらないこと、取るに足りない些事はあまり考えないことです。
「コンマ以下は切り捨て」ということです。
そうすればイライラすることもなく穏やかに毎日を過ごせます。

どんな状況も初めから意味を持っているわけではない


すべての状況は良い意味にも悪い意味にもどちらにも捉えることができます。
自分がその中から、どんな肯定的なことを引き出せるかという姿勢を持てば、そこから肯定的な結果を生み出すことができます。
どんな状況も初めから意味を持っているわけではありません。
すべての状況は本質的には何の意味もないのです。


「中立」、「無」なのです。
実際は自分が与える意味によって、自分のこの肉体レベルでの現実を創っているのです。
もし、他人が否定的意味を持ってあなたに何かをしても、自分がそこから肯定的なものしか見ないと決めていれば、肯定的な結果しか得られません。

自分の好きなことだけを追求しよう


世間の価値観に囚われず、また世に言う成功にも執着せず、自分の好きなことだけを追求しましょう。
そうすれば、意欲的に積極的に事に向かうエネルギーが枯渇することなく、楽しく生きていけます。


自分の好きなことを追求する人は、結果的に世間が成功と評する事を成すことができ、意識しなくても新たな成功を積み上げていくこともできます。
自分の嫌なことは無理をしてすることはありません。
世間の常識や社会通念にも振り回されないように、できるだけ自由に生きていきましょう。

「過去」と「未来」の棚上げのススメ


将来の不安ばかりを気にしたり、過去の失敗や過ちばかりを引きずったりしていたのでは、決して幸せな人生(老後)は得られません。
将来や過去は一旦横に置いて、今日をいかにして充実させるかを考えて実行しましょう。
また、人生の目標を明らかにして、そちらの方向へ向かって歩み出しましょう。
老いというものは避けることができません。


それならば、いかに受け入れるか。
どのように考えるか。
それが問われます。

老いていく自分を認めながら、「少しでも世間のお役に立つことができないか」、「お返しすることができないか」と考えてみることです。
気が付いたことがあれば、それを日課の中に組み入れるようにしましょう。
そうすることで日々の生活が充実していると感じ取れるようになります。

「欲七分」の生き方にシフトする


水をなみなみと注いだグラスを持たされたら、あなたは手ぶらのときのようにスイスイと歩けますか?
こぼしてはいけないと思う余り、とても自由に歩くことなどできません。
七分くらい水を注いだところで満足すればいいのに、「もっと入る、もっと入る」と欲張ってコップいっぱいに水を入れるから、たかがコップの水一つに体と心の自由を奪われてしまうことになるのです。


こんな風に人生には「もうちょっと」と欲張ってしまったばかりに、身動きが取れなくなることがよくあります。
「あと少し」と欲張ると人は不自由になります。
何事も七分くらいで満足しておくのがいいのです。
人は年齢とともに強欲になるものですが60歳を過ぎたら、さらに「欲六分」ぐらいに下げることがお勧めです。
食欲もそうですが、どんな欲も満腹状態は心身の毒にしかなりません。