どんな状況、どんな出来事、どんな日でも小さな良いことは必ず見つかります。
いつも小さな喜びは見出せます。
どこでも、いつでも幸せでいられます。
悪いことばかりに意識を向けていては人生は暗くなるばかりです。
あなたの精神が健康であるか否かを計る尺度は、どこにでも良いことを見つけられるか否かです。
どんな状況、どんな出来事、どんな日でも小さな良いことは必ず見つかります。
いつも小さな喜びは見出せます。
どこでも、いつでも幸せでいられます。
悪いことばかりに意識を向けていては人生は暗くなるばかりです。
あなたの精神が健康であるか否かを計る尺度は、どこにでも良いことを見つけられるか否かです。
過去が咲いている今
未来の蕾で一杯な今
これは陶芸家・河井寛次郎の言葉です。
何と美しい言葉でしょう、
何と人に勇気と希望を与える言葉でしょう。
しかし、この言葉は「今をどう生きているか」について、私たちに内省を促す言葉であることも見逃してはなりません。
二人の聖人に次の言葉があります。
いまのあなたがいまのあなたの運命にふさわしい・・・釈迦
あなたの行動はあなたの未来の予言者・・・・・・・・キリスト
あなたは今、何を考え、どういう習慣を持ち、どういう行動をしているのでしょうか。
あなたの今があなたの未来をつくっています。
あなたはあなたを生きるために肉体を貰ったのであって、他者の概念を生きるために生きているわけではありません。
宇宙には同じものは不要だからです。
人の数だけ好みがあってよいのですから、あなたは「あなた」であってください。
正しい生き方、立派な生き方、素晴らしい生き方、そんなことを追究するために生きているのではありません。
「あなた」が喜べるバイブレーションなのかどうかです。
あなたは「あなたの地球と宇宙」を創造してください。
あなたの愛すべき親であれ、子供であれ、あなた以外の他者の荷物を背負う必要はありません。
しかし、それが「心底から楽しくてしかたがない!」という「バイブレーション」があなたの中に湧くのであれば問題ありません。
正しき考えを追究する窮屈な生き方から、フィーリングやバイブレーションを大切に追究する生き方へと変えてみましょう。
苦しみが生じるのは必ずそこに「頭による裁き」が入ってくる時です。
どちらかを「マズイ」状態だと信じているからです。
だから、自分を裁くか相手を裁いて苦しむのです。
そこには必ず一方的な物差しがあります。
例えば、明るい性格を良いものとし、暗い性格を悪いものとする判断は他人から教わったものです。
これはかなり暴力的な裁きです。
「明るい」、「暗い」と比較すること自体が悪いのではなく、比較して「裁く」ことが苦しみになるのだと言っているのです。
暗さ自体は悪いことでも何でもなく、その感覚を受け入れていれば自然に抜けていきます。
それにも関わらず暗さを悪者にして否定するため、エネルギーがストップされて循環しなくなるのです。
その人が暗く見えるのは暗い性格だからではなく、感情エネルギーが回っていないだけのことなのです。
まして暗い性格だけしか持ってない人など、どこにもいません。
他者との比較ではなく自分の中だけの「比較による裁き」もあります。
「過去と今を比較し、どちらかを裁く」、「未来と今を比較し、どちらかを裁く」という自分自身の比較による裁きです。
「昔は良かったのに今の自分が置かれている環境はダメだ。」、「いつか必ず未来はこうあって欲しい。でも今の状態は最悪だ」という裁き。
裁いたものはもっと強くなっていくだけです。
なぜなら、裁くということは否定することになるからです。
「NO !」ということですから、その状態のエネルギーに「ストップ」が掛かるということなのです。
宇宙(現実)の循環にストップが掛かるということなのです。
どんな状態や状況も、ただ素直にあるがままで感じて受け入れていくと循環して流れていきます。
裁いてストップを掛けるから、その状態が止まるのです。
全ては単なるエネルギーです。
あなたが「そうだ!」と思い込んでいるものに、あなたがリアリティーを与えて具現化しているのです。
あなたは、優劣があると思い込んでいる。
あなたは、自分の中に劣っているものがあると思い込んでいる。
あなたは、失敗があると思い込んでいる。
あなたは、嫌いな人や嫌いなものがあると思い込んでいる。
あなたは、「このままではまずいと思う自分」があると思い込んでいる。
あなたは、「特別な個性がないとまずい」と思い込んでいる。
あなたは、「成果を残してなんぼだ」と思い込んでいる。
あなたは、「あの人が自分を酷い目に遭わせた」と思い込んでいる。
あなたは、「~しなくてはならない」と思い込んでいる。
あなたは、「OOこそがスゴイ」と思い込んでいる。
あなたは、自分の使命があると思い込んでいる。
あなたは、達成すべき偉業があると思い込んでいる。
あなたは、今以上に素晴らしいものがあると思い込んでいる。
あなたは、「あれは自分ではない」、「それは自分の財産ではない」と思い込んでいる。
あなたは、一体何を思い込んでいるのでしょう?
この現実が、この肉体が、この息子や夫が、あの他人が「在る!」と思い込んでいる。
あなたはあなたが思い込んだ通り、そういうリアリティーを与えた通りの今のあなたに見えているだけです。
あなたは神のように自由でいるのが実は怖いのです。
あなたは誰かと一緒でいたいのです。
あなたは個性ある独自の存在でいるのが怖いのです。
だから、なるべく多くの人が声に出すことに従おうとし、他の人への見え方が気になります。
しかし、あなたは「あなた」でしかありません。
「あなた」が思い込んで「あなた」が全てにリアリティーを与えています。
これは完全にあなただけの視点であり、あなただけの解釈です。
本来はファジー(曖昧)でしかないものに、あなたが「独自のリアリティー」を与えています。
全ての概念がファジーであり、全ての人がファジーであり、あなたの視点から、あなたがリアリティーを与えて存在させているのです。
それがあなたの個性ということです。