本当に知っている者はあまり語りません。
必要以上に語る者ほど本当は知りません。
真の知者は五感に惑わされず、神経質にならないようにして意識の煩わしさを解きほぐします。
そして、主張したがる意識を和らげて他の普通の人々と馴染みます。
このことを「神秘なる合一」と言います。
だから、真の知者は神秘なる合一を果たした上で社会の中に溶け込んで生活しているため、社会の人々は真の知者が誰であるのかを知ることはできません。
このように神秘なる合一を果たすこと。
いわゆる悟ってしまえば語ることをやめてしまいます。
なぜなら、あるがままでいいからです。
「今さら何を言う必要があろうか」ということが心の真底から分かるからです。
それでも、「苦しい今の自分はどうすればいいか?」、「もっと成長したい!」と誰もが思っているものです。
しかし、真の合一の視点ではそのような今の色々な状態、生きていること自体が歓喜するほど素晴らしいことであるのが分かります。
それにも関わらず、「その上でさらにあなたは何になろうとしているのか?」ということなのです。
人間が存在している不可思議に真から気付くと、病気であろうが失業しようが独身であろうが誰かに罵倒されようが、それは生きている間だけの些細なオプションに過ぎないことがよく分かります。
さらに言えば、そのような全ての環境(状況)は魂への有り難い刺激であるのが真相なのです。
全ての人間と生命が既に最高に素晴らしい存在である真相が分かると、「悟る必要もなかった」ということまで分かります。
生かされていることに感謝しながら暮らすことが最も聖なる生きる道なのです。
これは悟りを越えた先に存在する「行為」なのです。