やる決意・・・やると決めて実行に移すこと


「できるか」、「できないか」ではなく「やるか」、「やらないか」の決意次第で活路は開かれます。
「やるなら決めよ、決めたら迷うな」です。
決めないからできないのです。
決めれば必ず能力が生まれてきます。
できないのではなく、しようとしないのです。


せっかく決めながら迷いを繰り返し、前に進めないことがあります。
こんな愚かで無駄なことはありません。
人に甘えて手伝ってくれる人があると思うからです。
自分のことは自分で成し遂げる一念がなければ、人生は何も見えてこないのです。
「できないこととしないことを混同しない」厳しさを持ち続けたいものです。

慈しみの心


すべては心から出ています。
心があって考えて話して行動しています。
すべては心の表れですから心が汚れていれば、すべては汚れたものになります。
心がささくれだって荒れていれば、争いが起きます。
心が苦しめば、どこにいても苦しい世界です。
天国に行けたとしても苦しいでしょう。
逆に、心が安らかであれば、どこにいても安らかな世界になります。
優しい慈しみの心があれば、すべては清らかになります。


人間関係も円滑に進みます。
平和な心があれば、平和な世界で暮らすことができます。

すべての発生源である心を清らかにすれば、自然に生きていけるようになります。
誰と会話をしていても、その言葉は相手に対する憎しみや嫉妬、怒りの言葉にはなりません。
相手を傷付ける言葉ではなく、自然と他の生命に対して優しい言葉になっています。
まず、優しい心を育てましょう。


そうすれば、私たちの行動は優しい行動に変わります。
慈しみの心さえあれば、生き方そのものがそのまま正しい生き方になってしまうのです。
お釈迦様は「瞬時でも慈しみの心を育てなさい。それだけでも立派なことである。」と説かれました。
慈悲の心は何もせずに放っておいて生まれてくるものではありません。
努力して育てていくものです。

いつも、いかなる時にも心の平穏を保つ


物事の重要性は自分がそれを重要であると信じるかどうかで決まります。
悩みもまたしかりで何事も深刻ではなく、たいして重要でないと思えば、本当に深刻なことも重要なこともなくなるということです。
自分の心の弱さ、捉え方に応じて問題も大きく抗し難いものになってきます。


心が強ければ、また捉え方を変えれば問題も取るに足らないことに思えてきます。
何でも自分の思い通りにしようと思わないことも大切です。
それが問題であると勝手に捉えないことも大事です。
こうしたことがいつまでも心を平穏に保つための秘訣なのです。

長生きしたいならイライラしない


長生きしたい人は心の持ち方が大事であると肝に銘じましょう。
それではどんな心の持ち方をしたらよいのでしょうか?
それはいつも平常心でいることです。
平常心とは常に平らかな心でいるということです。
ヒステリーや癇癪を起こさないこと。
怒りやイライラに囚われないこと。
悩みや心配事を抱え込まないことです。

いつでも静かで平らかな気持ちで暮らしていくことです。


執着から解き放たれることです。
すべてのことをまるで映画を観ているようにあまり真剣に捉えないことです。
すべてのことは必ずいつでも何とかなります。
あるべきところに落ち着きます。
外側で起こっていることに振り回されないこと。
自分の内側を平静に保ち、それを外側の世界に表す力を私たちは持っているのです。

どんなことも自分を益する・・・宇宙には悪いことはない


どんな悲しみも肉体的な苦痛もそれが何事もなく解消されると、もう痛みは実感できません。
体験した沢山の悲しみや苦しみは今になってみると皆、明るい悲しみ、明るい苦しみに変わっています。
もう追憶でしかないのです。
むしろ、「そんな悲しみを過ごしたから今がある。あの苦しみのおかげでこんなに得るものがあった。」とさえ、言えるようになっているのです。
「その時」には分かりませんが「後」になると、あれが私をつくったのだと思えるわけです。


それが年齢を重ねる良さでしょうか。
人生には無駄というものはありません。
しかし、後にならないと、その意味が分からないということが沢山あります。
辛いことでも苦しいことでも「体験」したことは間違いなく、その人の強みになります。
どんなことも自分を益します。
宇宙には悪いことはありません。
自分がそう思っているだけ、そう解釈しているだけです。