死に持ち去られるモノを追いかけてはならない


多くの苦しみを作り出すもの・・・。
もう少し大きな家、もう少し多めの預金残高、もう少しの名声、もう少しの評判、より以上の権力・・・。
もし、あなたが死に持ち去られてしまうものを追いかけているなら、あなたの生は決して、どんな意味にも達していません。
「私は生きた」とは言えず、木は開花しなかった、木には実がならなかったようなものでしょう。
数多くの人たちが種として生まれ、種として死んでいきます。
では、何をしなければならないのでしょうか?
より高次のものを考えること。


死を越えたもの、破壊されることのないもの、不滅のもの、時を超越したもの。
そうすると悲しみや苦しみは起こらないでしょう。

もし、あなたが究極(真理)を探究するなら、あなたの生のそれぞれの瞬間はますます平和で穏やかに、静かに冷静に芳香を放つようになるでしょう。
もし、あなたが死によって持ち去られることのない真理を探究するなら、まさにその探究があなたの存在に新しい質をもたらすでしょう。


本当の喜びは決して、外側からはやって来ないで内側からやって来ます。
死はただ外側から来たものだけを持ち去ることができます。
内側は永遠です。
真実はあなたが内側を見ることを、内側に向くことを、内側に同調することを待っています。
死に持ち去られるものを追いかけないで、悲しみや苦しみを消し去る真理を探究しましょう。


イエスは云いました。
「真理は解放する」と。
その真理とは聖書から集めた真理ではなく、あなた独自の体験を通して出会った真理のことです。

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