今、目の前にあることをやれる範囲で精一杯やっていく。 その積み重ねが達成感を生み、天から賜ったその人の生を輝かせることにもなるのです。 何かいい出来事が起きたから幸せ・・・ではないのです。 目の前に起こる出来事をしみじみと味わうというような、当たり前の日常の中に本当の幸せというものはあるのです。 ... 続きをみる
2022年7月のブログ記事
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私たちは、ともすれば、人生の苦しみのみに目が奪われやすいものです。 また、人生の不公平を恨む気持ちにとらわれやすいものです。 中国臨済宗の開祖、臨済禅師は「見ることができる目を持ち、聞くことができる耳を持ち、動かすことができる手足を持っているのに、それ以上なにが不服か」と言っています。 五体が満足... 続きをみる
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「百聞は一見にしかず」といいますが、そのことわざには実は続きがあります。 「百見は一考にしかず、百考は一行にしかず」。 心では変化を求めているのに、考えたり想像したりしているだけでは何も変わりません。 そんな時は、とにかく「行動」してみるべきです。 無理に大きく動く必要はありません。 ボクシングの... 続きをみる
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臨終の時がくると、あなたが肉体を離れる前に、あなたが今までに考えた事や行ったこと、それらすべての想念と経験が一瞬のうちに心を通り過ぎます。 そして、その中の最も強い印象が、次の人生におけるあなたの環境と習性とを決定します。 「人が臨終のときに抱く思いは、(それがその人の長年の執着であることから)来... 続きをみる
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年寄りでも小奇麗に暮らしている人はたくさんいます。 つまり問題は、その人が人生を楽しんでいるかどうかなのです。 以前は、よくテレビで片付けられない人の特集をよくやっていました。 片付けられない人は心に問題を持っている場合が多いのです。 つまり、家の中のゴミは、心のゴミを表しているのです。 明るく、... 続きをみる
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道端で咲くタンポポを見て、「スゴイ、かわいいな~」って思えたら、わざわざ海外に出かけて行ってアルプスを見なくても幸せですよね。 幸せは、幸せの基準を下げることができたら、幸せなのです。 「毎日、毎日三度のご飯が食べられて幸せ。毎日、自分の家でお風呂に入れて幸せ。自分の足で歩けて幸せ。目が見えて、耳... 続きをみる
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幸せというのは、何か特別なことが起こることではありません。 何も起きないことが幸せの絶対的な本質です。 幸せとは、いいこと、楽しいことが起きることではなくて、自分にとって、いわゆる面倒なこと、大変なこと、汗をかかなくてはいけないこと、神経を使かわなくてはいけないことなどが何も起きないこと。 それこ... 続きをみる
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これしかないという生き方は生き詰まった時に、それ以外の考えができず、すべてを破綻させてしまいます。 うつ病とか自殺がその結果として起こることもしばしばです。 それのみに固執し、その道のみを最重要視することは間違いです。 原理主義的、絶対のみを主張する生き方は間違いなのです。 子供の教育なんかも同じ... 続きをみる
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人生はある一時期の出来事だけで決まるものではありません。 環境が変わり、一緒に働く人、暮らす人も変わります。 どのような局面でも、与えられたことに全力を上げていると、他人はそれが分かり、あなたを抜擢するようなことが起るのです。 どのような場面にあっても将来を悲観したり、自分はダメだと思わないで、自... 続きをみる
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黒系の色の服は、三十代くらいまではおしゃれに見えるかもしれませんが暗い印象を与えます。 風水的にも凶です。 色の力は凄く、洋服の色が心に強い影響を与えます。 キレイな色を着た時と、黒やグレーを着た時は、人の印象も自分の気持ちも違ってきます。 単に似合う、似合わないの問題ではありません。 洋服は形よ... 続きをみる
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人生で一番大事なことは何でしょうか。 それは老いに備えることではなく、今日という日を楽しく過ごすことではないでしょうか。 今日という日を上機嫌で過ごすことの他に素晴らしいことがあるでしょうか。 過去も未来も色々なことも、心配してもしょうがありません。 それよりも今、命ある今を「今日も楽しかった」と... 続きをみる
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苦しみの種は他人にあるのではありません。 全部自分に、自分の心にあるのです。 ありもしない、影法師をつかまえて、怖がっているのです。 とらわれる心、好き嫌い、不足不満の心を去ることです。 暖かい愛情をもって人に向かえば、人はみんな我が味方であり、我が友です。 穏かな明るい心をもって物に向かえば、物... 続きをみる
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今、足りてないものを追い求めるのではなく、既に与えられている多くの恵みに感謝しましょう。 人間は「今、いただいているものに気がつき、感謝をはじめる」と、あれが欲しい、これが欲しいと言う気持ちが著しく減っていくものです。 幸せというものは「今、足りないものを探して手に入れること」ではなくて、「自分が... 続きをみる
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「幸せ」を定義してはいけません。 人が定義した幸せを鵜呑みにしてはいけません。 なぜなら、幸福とはこういう状態だと考えた途端、自分と比べて足りないところを見つけてしまう傾向が人間にはあるからです。 幸不幸は人が勝手に名付けただけで本来実体はありません。 ただ私たちがある状態に対して評価しているに過... 続きをみる
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私たちは小学校、中学校の教育で「思いを持って、努力をして、頑張って、必死になって、今ないものを手にいれなさい」、「自分の思い通りにすることが幸せである」と教えられてきました。 しかし、「受け入れること」。 思いを持たないで、目の前に起こったことに対して、「そうきましたか」と抵抗することなく、嫌がる... 続きをみる
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コンピューターと通信技術のおかげで、一日二四時間、週七日の年中無休の仕事時間が可能になりました。 こうした状況を最大限に活用するには、仕事の時間と家族の時間を分けずに、自分の時間を全体的に最適化するよう努めることです。 従来は一日の時間を、仕事、睡眠、家族と過ごす余暇、などと分けて考えてきました。... 続きをみる
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いまの人たちは、幸福というと、人がうらやむほどの立身出世や必要以上の財産、人に真似できないような才能がなければいけないと思っています。 それを求めて苦労し、求めきれないから、みんな悩んでしまいます。 しかし、幸福というものをそう大げさに考えることはありません。 「今日はよく眠れた」、「気持ちがいい... 続きをみる
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何か問題が起っている時に、努力による解決方法しか知らない人は「幸せを感じにくい」かもしれません。 なぜなら、人間の欲求には際限がないからです。 人の十倍、二十倍の努力による解決方法では実現できないことも多く、ストレスがたまってしまいます。 学校でも社会に出てからも、こういう解決方法しか知らないため... 続きをみる
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不幸だ、幸福だという言葉くらい、本人の気の持ち方次第、捉え方次第のものはありません。 不幸が好きな人は不幸であり、幸福が好きな人は幸福です。 おかしな言い方ですが、不幸になるのも幸福になるのも本人の望み次第です。 幸福にも不幸にも、自分の好き勝手に瞬時になれるものです。 私たちは、いつでも、ものの... 続きをみる
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「百聞は一見にしかず」といいますが、そのことわざには実は続きがあります。 「百見は一考にしかず、百考は一行にしかず」。 心では変化を求めているのに、考えたり想像したりしているだけでは何も変わりません。 そんなときは、とにかく「行動」してみるべきです。 無理に大きく動く必要はありません。 ボクシング... 続きをみる
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針ほどのことを棒ほどに感謝をすれば、必ず棒ほどの結果が生まれるものです。 考えてみれば、私たちは太陽や空気や水の恵みを、当たり前と思ってはいないでしょうか。 また、身体の五臓六腑が休みなく働いてくれていることを当たり前と思っていないでしょうか。 むしろ自然の恵みにさえ、不平やグチを言っているのでは... 続きをみる
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困った問題が生じたら、困った側面ばかりでなく、それがプラスに働く側面がないかを考えてみることです。 困った、困ったと考えるから困る要因ばかり浮かんできて、かえって問題をこじらせているという見方もできるのです。 大規模な地震などの災害も「復旧が大変だろう」と暗い顔をするのは一面的な見方です。 災害は... 続きをみる
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足りないものを数えていると、無意識のうちに「あぁ、幸せになりたいなぁ」と望んでしまいます。 しかし、本当に幸せになるコツは「幸せになりたい」という言葉とキッパリ縁を切ることです。 そして、「幸せ!」「豊かだなー」と断言してしまうことです。 どうしてかというと、「なりたい」ということは、今はそうでな... 続きをみる
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死んだ後はどうなるのか? 極楽はあるのか? 地獄はあるのか? お釈迦様はそのような問いは無意味だとしてお答えになりませんでした。 生きている私たちに大事なのは「生きている今、どう生きるべきか」だけです。 そこで、こう考えましょう。 世の中には少なからず悪人がいます。 その人たちは来世があろうとなか... 続きをみる
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勉強して知識を広げ、物事をわきまえることは大切ですが、そのままにしておかないで、自分のできることを実践していくことが肝要です。 知っていることを生かすことができないというのは、生かすところまで学んでいなかったということになります。 やってみて初めて、難しい、これは自分の手に負えないということも分か... 続きをみる
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私たちの人生というものは夢を見ているようなものです。 ですから、はっきり目を覚まして、自分の生きたい夢を、見たい夢を見てください。 どんなことを感じても、どんなことを体験しても、それは自分がそれを自ら選択しているということを認識してください。 起きていることが、あまり好きになれないときは、自分で新... 続きをみる